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大学選び [雑記]

 少し遅かった感のある梅雨空が続き、今朝は台風が来ている所為もあり、どんより+じめじめ+むしむしの空気だった。
 だいたいの大学は、新入生がだいぶ生活に慣れてきた頃に、試験週間が設置してある。新生活に馴染んできたなぁと感じているのも束の間・・・試験勉強漬けを乗り越えて夏休みを迎える。
 今の大学に入る前まで、地シス(地域生態システム学科)とお隣の環資(環境資源科学科)の違いがさっぱり分からなかったのだが、入って見ると全く異なることがわかった。過去3回通った、大学説明会ではお決まりのように、環資は実験・地シスはフィールドワーク、環資は科学・地シスは文系+理系のような文句が繰り返された。確かにそのとおりだったが、言葉だけでは伝わらないものがある。
 実習に追われていた5,6月からして、フィールドワークの重要性は身に沁みている。他学科にも実践重視の学科はあるが、地シスはとりわけ外部への遠征が多い。自分の眼で見るという行為が、どれだけウェイトが高く、認識に差が出るのか痛感する。
 当然のことながら、様々な都道府県人が大学に集まっている。新入生でも、北は北海道〜南は沖縄、色々な自治体から来ているので、一人暮らしも多い。そんなに遠いところから、どうやって個々の大学を選別し、志望を決めるのか、気になったので聞いてみた。予想できる範囲のとりあえず地元を離れたかった、東京に出たかったという答えが多い。逆に、近場、首都圏近郊出身の人でなくても、学校説明会・キャンパスツアーなどに積極的に参加し、選んだという人もいる。
 ただ、学科選びという点で失敗してしまったと強く感じている人は、大学側の行事に1度も参加したことがない人が多かった。名前だけで選んだという人もいたほどで、偏差値や筆記試験の内容だけ重視したらしい。
 当然の結果、それらしい雰囲気・・・そんなものばかりが目立つ。目立つから聞いたのだ。こんな聞き込みには大した意味はない。ただの知的好奇心。それよりも、出身の自治体制度や伝統・土地柄の方が有用だ。
 大学生活をどう楽しむかは、自分自身にかかっている。今、失敗したと考えていても、そのうち変わるかもしれない。馴染んでしまえるだろう、それが人間の適応力だから。受験期に錯覚だとしても、自分で選んだという感覚を得られた人だけが、大学生活を楽しめるというものでもない。
 どんなに、志望大を願っている人でも、ネームバリューや受験で有利な条件に惹かれた人でも、大雑把な数字で合否が決まるシステムは、そのうち廃れるだろう。
 血統・お家主義への反発という勢いに乗ってきた学歴社会も、結局は遺伝という観点からいえば、大差ない。偏ったペーパーテストで測れる知能よりも、多岐方向に及ぶ遺伝的資質を重視すべきだ。
 人生どう送るかは、自分自身にかかっている。時間はお金で買えない。買えたとしても、それはただ生きているだけの存在と化すだけで、けして自由ではない。そんなものに支えられた時間は、活動的で成長過程にあったときの時間とは比べ物にならないからだ。

 目の前を一瞬で過ぎていく人々、文字だけの存在と化してしまった人々、彼ら・彼女らの持っていた宇宙に一部でいいから触れたい。一部だけしか触れられない。もう、会えない人々の宇宙。
 世代交代の時期なのだと、否応なしに認めさせられる。
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